「……そ、そうよね。少し休みましょうか、雨宮《あまみや》さん」 轟《とどろき》さんはすぐに質問を止めて、隣に座って私を気遣ってくれた。 危ないところを助けてもらった上に、こうして自分の話を聞いてもらえることが嬉しい。「もう大丈夫です。さっきはありがとうございます、凄く助かりました」 そこにいたメンバーにお礼を言うと、みんなが「気にしないで」と笑ってくれて。 この会社の人はみんないい人ばかりで、この人たちと一緒に働けて本当に良かったと思えた。「そんなこといいんですよ、あの人ちょっと様子が変でしたしね」「そうよね、私も思った!」 みんながワイワイと流《ながれ》の話で盛り上がっている。 彼の私への接しかたが、他の人にはかなり不自然に見えたのかもしれない。あれはほぼ脅迫だったし、あのままでは本当に危なかったけれど。「……あの人、本当に諦めて帰ったんでしょうか? 私、心配なので雨宮さんを家まで送ります!」「じゃあ、私も! あの時はうちに泊めるって言ったし、それくらいはね」 轟さん達がそう言ってくれるのは凄く嬉しい。 でも今夜は朝陽《あさひ》さんが迎えに来ると言っていたし、どうしようかと悩んでいると……スマホからメッセージの受信音。 これは多分、朝陽さんからだ。『仕事で少し遅くなる、店か近くのファミレスで待っていろ』 ちょうど良かった、それなら朝陽さんには真っ直ぐに帰ってもらうことが出来る。 私ももう少しみんなと話したい気持ちもあったので、そのまま返事を返すことにした。『会社の人と一緒に帰る事になったので、朝陽さんはそのまま帰宅してください』『分かった、気を付けて帰れよ』 朝陽さんからの返事を確認してスマホをバッグに入れて、轟さん達と一緒に帰宅したいと伝える。 それからまた盛り上がってしまい、マンションに着くまでに日が変わってしまったのだけど。 さすがに朝陽さんも帰ってきてるだろうと思いながら、今夜のメンバーとマンションの前で別れる。 本当に凄く楽しい飲み会だった、そのまま気分良くエレベーターを降りて部屋の近くまで行くと……「朝陽だって、このスマホの画像を見れば分かるでしょう? あの女性はこうやって、以前の婚約者と貴方を天秤にかけているのよ」「……」 ……どうして? どうして鵜野宮《うのみや》さんがこのマンションに、それも
「ああ、戻って来てくれて良かった! 雨宮《あまみや》さん、かなりふらついてたから心配だったのよ~」 先程まで座っていた席に近付くと、すぐに私に気付いたのか轟《とどろき》さんが駆け寄って来てくれた。ずいぶん心配させてしまったようで、申し訳なく思う。 だけど、流《ながれ》に脅されている私は余計な事は言えなくて。「もう大丈夫です。すみませんが、今日はお先に失礼しようかと……」「そうそう、鈴凪《すずな》は俺が責任もってアパートまで送り届けますんで!」 でも白澤《しらさわ》さんは、今夜は朝陽《あさひ》さんが迎えに来ると言っていたはず。このままではすれ違いになるかもしれない、その事も気になっていて。 スマホでメッセージを送れたらいいが、流に見張られていてそれも出来そうにない。 そう悩んでいた時、なぜか轟さんが……「ああ、その必要はないですよ。今夜は雨宮さんも私の部屋に泊まるって約束してたので。会社メンバーでのお泊り会ですから、どうそ安心してお帰りください」「え? いや、そういう訳には……」 いきなりそう言われて驚いたが、直ぐに轟さんが私の異変を感じて機転を利かせてくれたのだと気が付いた。それも私だけではなく他の女性もいるような言い方をしたのは、流がそれを断りにくくするためだろう。 それでも元カレはしつこく食い下がろうとしたのだが、轟さんがトドメのように……「それとも雨宮さんや私達の事が信用出来ないとでも? 彼女の婚約者なんですよね、貴方は」「……分かりましたよ。鈴凪、また連絡するから」 営業部のエースである轟さんにあっさりと言い包められ、流はふてくされて店から出ていった。そのことにホッとして、そのままストンと椅子に座り込んだ。 緊張で手足が震え、私も色々限界だったみたいだ。「何だったのよ、本当にあんなのが雨宮さんの婚約者?」 よほど流の態度が気に入らなかったのか、轟さんはまだ文句が言い足りないようで。 本当にどうしてあんな男を何年も信じていられたのか、自分でも不思議に思えてしまう。「正確には……だった、ですね。別の女性に浮気され、一方的に婚約破棄されたので」「なによそれ、サイテーじゃない! しかも自分が婚約破棄したのに、あんなこと言って頭おかしいんじゃないの?」 もうここまでバレてしまったら、隠してもしょうがないと本当のことを
何を言っているの? 婚約破棄を言い出したのも、他の女性を選んだのも流《ながれ》の方だったじゃない。それを今更、どうして自分が婚約者だなんて……? 馬鹿な事を言わないで、と反論したいのに頭がグラグラして言葉が出てこない。「ほら、鈴凪《すずな》。まったくしょうがないな」 すぐ傍まで顔を近づけた流が、私にだけ聞こえるように耳元で囁いてくる。近付かないでとはっきり言えない、今の状況がもどかしい。 それなのに、この男は……「色々バラされたくないだろ、この意味は分かるよな?」「――!?」 それはもしかして、朝陽《あさひ》さんとのことを言っているの? 元彼からこんな風に脅されるなんて思っても無かった、そんな男を自分はずっと愛していただなんて。怒りで身体は震えるのに、ニヤついた笑みを浮かべた男のいう事を聞くしかないの?「鈴凪、自分で立てるよな?」「……ええ」 グラつく身体を何とか起こすと、他の社員に「少し抜けます」と言って流と共に店の外に出た。 わざと自分のバッグを籠の中に置いたままにして。 流はふらつく私の手首を乱暴に掴んで、店の入り口からは見えない位置へと連れてきた。嫌な予感がする、何が目的でこんな場所に移動させるのだろうか?「流、あなたは何が目的でこんな事を……くっ!」 急に掴まれていた手首を引っ張られて、流の方に倒れこむ形になって。その衝撃で余計に頭がクラクラして、流から離れることが出来ない。 私の背中に回された腕。そのまま抱きしめられた事で全身が粟立つほどの嫌悪を感じ、全力で流を突き飛ばした。「――ってえな! 鈴凪の分際で、ふざけるなよ?」「……アンタこそ、何のつもり? 今さらこんな事して、鵜野宮《うのみや》さんはどうしたのよ」 今の流の態度は私とヨリを戻したいとか、そんな風にはとても見えない。わざとこんな事をやっている、でもいったい何のために?「ふん。鵜野宮さんは俺を選ぶさ、あんな男よりも……お前にはその役に立ってもらうだけだ。ほら、さっさと行くぞ」 それはどういう意味なのだろう? 流は鵜野宮さんと繋がっていて、彼女の気を惹くためにこんな事をしているってことなのか。 とりあえず、今の自分に出来そうなことを必死に考えて。「……少しだけ待って、バッグを忘れたの。会社の人にちゃんと挨拶もしたいし、五分だけ良いかしら」「じ
「みんな手にグラスを持って……それでは!」「「「カンパーイ!!」」」 ビールのジョッキやカクテルのグラスで乾杯し、さっそく轟《とどろき》さんが取った契約の話で盛り上がり始めた。 やり手の会社経営者から、大口の契約を取れることは本当に凄い事で。轟さんはどんな話で喜んでいたのかとか、契約の決め手は何だったのかと次々に聞かれていた。 そんな会話の中でも轟さんが、何度も「これも雨宮《あまみや》さんのサポートがあったからよ」と話してくれて。 嬉しくもあったが、ちょっとだけ照れてしまった。「それにしても、あの時の悪戯はなんだったんですかね?」「ある日、突然ピタリと止みましたよね……」 そう。実は私に向けられていた嫌がらせの数々が、数日前にピタリと無くなったのだ。 もしかして朝陽《あさひ》さんが? そう考えて白澤《しらさわ》さんにも聞いたが、それはないだろうと言われて。 不思議だったが周りの社員に迷惑がかからなければ、それが一番だと思う事にしたのだけど。「そうね、これで終われば問題ないわよ」「まあ、そうですよね〜」 話を聞きつつ頷いていたが、まだどこか不安が残っていて。あれくらいで、あの二人が本当に諦めるだろうか? 婚約式の控室にまで、強引に入ってきたのに……「おかわりお持ちしました。カシスオレンジのお客様ー」「はい、私です」 店員さんからそのグラスを受け取り、ゆっくりと口をつける。一杯目より少し濃い気がしたが、深く考えずのんでいると……「あれ、鈴凪じゃないか? そういえば、今日は飲み会だって言ってたっけ?」「流《ながれ》? どうしてアナタがここに……うっ」 いきなりこの場に現れた、元カレの流に驚いて。 なぜここにいるのかと問い詰めようとした瞬間、視界が大きくグラついた。頭を激しく振った後のような眩暈に、体勢を維持することも出来なくて。 そのまま倒れるようにテーブルに突っ伏した私に、まるでこうなることを分かっていたかのように流が近づいてきた。「ああ、鈴凪はお酒に弱いんだから。いつも飲み過ぎないように、って言ってるだろ?」「な、にを……」 確かにザルとまでは言わないが、そこまで弱くもないはず。カクテルを二杯飲んだくらいでこんな事になる訳がないのに、今日に限ってどうして? 動けない私の髪に流が触れる、まるで恋人のようなその
――そして、迎えた慰労会当日。 私を集合場所まで送ってくれたはずの白澤《しらさわ》さんが、何故か課の女性社員に囲まれてしまっている。「ねえ、白澤さんも参加しません? どうせ雨宮《あまみや》さんが帰るまで、どこかで待ってるんでしょう?」「そうそう、ずっとお話したかったんです! 雨宮さんも、それで良いですよね?」 そこは私ではなく、今日の主役の轟《とどろき》さんか課長に聞いてほしい。そもそも白澤さんが私を護衛をしてくれてるのも、朝陽《あさひ》さんからの依頼があっての事で。そんな権限は自分にはないのだから。 と、素直にそれを話すわけにもいかないので返答に困っていると……「すみません。お誘いは嬉しいのですが、これから人と会う約束がありますので」「ええ~、それって今日じゃなきゃダメですか?」 女性社員が頑張って食い下がるが、白澤さんは優しく微笑んで「すみません」と繰り返し断った。綺麗なその笑顔に魅せられて、彼女たちは「はい」としか言えなくなったみたい。 白澤さんは自身の魅力を最大限に利用できるタイプらしい、さすがだわ。「いやあ、良いもの見れたわ。眼福ね、やっぱりイケメンの笑顔は健康に良いと思うの」「……そういうもんですかね?」 あれ、おかしいな? 私も今はかなりのイケメン御曹司と同居している筈なのに、たまに胸や胃が痛くなるんですけど。 ……それも胸が二割、胃が八割ぐらいの割合で。 そんな馬鹿な事を考えていると、白澤さんがサラッととんでもない事を言い出した。「ああ、言い忘れていましたが。帰りは朝陽が迎えに来るそうなので、私は今日はこれで上がらせて頂くことになります」「え? ……今、なんて?」 まさか、朝陽さんが迎えに来るなんて思ってなくて。ただでさえ白澤さんの事も上手く説明できてないのに、あの人まで来たらみんなにどうすればいいのよ? 外見だけならモデル並みの容姿をしている朝陽さんを見たら、それこそ大騒ぎになるって分かりそうなのに。「彼が自分で迎えに行くと言って聞かなかったので、諦めてください鈴凪《すずな》さん」「ええ~、そんな無茶苦茶な……」 簡単にそう言うけれど、白澤さんだってどうなるか予想出来てるんでしょう? これから数時間後の事を想像しただけで、まだ慰労会前なのにどっと気疲れしたかもしれない。 そんな私に笑顔で「じゃあ、頑
「昨日私が帰ってから、そんなやりとりがあったんですか。見たかったですね、もう少し居座っていればよかったな」 白澤《しらさわ》さんに職場まで送ってもらいながら昨日会ったことを話すと、彼はとても楽しそうにそんなことを言い出して。私としてはむしろ、居座っている白澤さんの方が見たい気もするけれど。「もう、白澤さんまでそんな事を。大変だったんですよ、あの暴君を宥めるのは」 そう返すと彼は、本当に可笑しそうに肩を震わせて。だけど笑い事じゃない、あれから朝陽《あさひ》さんが機嫌を直してくれるまで相当な嫌味を言われたのだから。 普段は魅力的な大人の男性って雰囲気なのに、どうしてああも子供っぽいのか。「ふふ、鈴凪《すずな》さんと一緒だとずいぶん素の朝陽でいられるようです。私にはそんな態度はとりませんからね」 そりゃあ白澤さんを相手にそんな事しても、鼻で笑われて終わりそうですし? 朝陽さんもそれは十分に分かってるだろうから、 絶対にやらないと思う。「そう、なんでしょうか? 私にはドSな暴君でしかないですけど、もちろん良いところもたくさん知ってはいますが」 最初の頃はずいぶんと流《ながれ》の件で迷惑をかけたのに、それについて恩着せがましい事は言ったことが無い。契約の事に関しては、まあ別だけど。 それから白澤さんと自分を比べて、律義に機嫌を直してくれるまで相手をしている私の方に問題があるのかも? と、悩んでいると……「私としては、鈴凪さんにずっと朝陽の傍にいてもらいたいと思っています」「……それは、その」 それは簡単に『はい、わかりました』とは返事することは出来ない話で。白澤さんがそう思っていてくれても、相手を決めるのは朝陽さんだもの。 ……きっとその時、私の存在は彼の選択肢の中にはないはず。お役御免になって、その先は朝陽さんや白澤さんに関わることもないのでしょうし。 それを想像すると、少しだけ寂しい気もするけれど。「無理強いするつもりはありません、私が勝手にそう思っているだけなので。それに朝陽も、きっと……」「朝陽さんが?」 そんなはずはない。 朝陽さんが傍にいて欲しいと思っているのは、鵜野宮《うのみや》さんただ一人だけ。私との契約も、そもそもは彼女の気を惹くためだけのものなのに。「目に見えないところで、変わっていく何かがありますから。良い事も、